インド旅客機墜落事故について想うこと──「当たり前」の重さに、ふと立ち止まる
2025年6月13日

インド旅客機墜落事故について想うこと──「当たり前」の重さに、ふと立ち止まる
こんにちは。REVOLVER合同会社の浅岡です。
昨日、インドのエアインディアが運航していたボーイング787が墜落し、200名以上の方が亡くなるという非常に痛ましい事故が起きました。
ニュースを目にした瞬間、言葉にならない重さを感じ、胸が締めつけられるような思いになりました。
遠い国で起きた出来事のようでいて、私にとっては決して他人事とは思えない事故でした。
◻︎インドという国への親しみ
私自身、2019年にインドを旅したことがあります。
ニューデリーからアーグラ、そしてバラナシへ(写真は2019年ガンジス川にて撮影 - 沐浴)——列車を何本か乗り継ぎながら、人々の暮らしに触れ、街の熱量や祈りの深さに圧倒されながら過ごした時間は、今でも大切な記憶のひとつです。
インドには不思議な魅力があります。混沌と静けさが共存していて、心が揺さぶられる瞬間があちこちにある。
その国で、あのような事故が起きてしまったことが、どうしても他人事とは思えませんでした。
◻︎ビスタラ航空と、エアインディアの合併
私がインドを旅した際、日本へ帰国するためにバラナシからニューデリーへ戻る必要があり、そのときに利用したのがビスタラ航空というインド国内線でした。
そのビスタラ航空が、2024年11月にエアインディアと合併していたということを、今回の事故を機に改めて知りました。
つまり、かつて自分が乗った航空会社が、事故を起こしたエアインディアと同一になったということ。
そう思うと、本当に“紙一重の距離感”でこの事故を捉える自分がいました。
さらに調べてみると、事故機のボーイング787は、数日前まで羽田空港にいたとの報道もありました。
日本ともつながっていた機体。だからこそ、遠い国の話というよりも、「すぐそばの話」として強く感じたのです。
◻︎命があること、それ自体がありがたいこと
こうした痛ましい事故があるたびに、ふと立ち止まって思います。
**「今、こうして生きていること自体が、どれだけ尊いことか」**と。
私たちは日々、目の前の仕事や課題に追われて、つい「もっと効率よく」「もっと成果を」と自分に求めてしまいます。
でも、本当は、こうして毎日を過ごせていることそのものが、奇跡のような連続なんだと思います。
事故のように突然訪れる“終わり”を見せつけられると、改めてそのことに気づかされます。
◻︎旅や移動が好きだからこそ、想像することの重み
私は日ごろから飛行機に乗ることも多く、自分で車を運転して旅をするのも好きです。
だからこそ、今回のような事故は、決して「誰かの遠い不幸」ではありませんでした。
いつ何が起きても不思議ではない。
そんな世界に私たちは生きているという事実を、時折きちんと見つめなおすことは、きっととても大切なことなんだと思います。
◻︎「今」を、丁寧に使っていこうと思う
こうして命があり、日常があり、仕事があり、誰かと関わる時間があること。
当たり前のように思えるけれど、全然当たり前なんかじゃない。
こんな事故があって想うこと不謹慎かもしれないけど、私は思うんです。
「目の前にある仕事に、もっと真摯に向き合おう」と。
「人との関わり方に、もっと心を込めよう」と。
このブログを書いている今この瞬間も、どこかで誰かが当たり前を失っているかもしれない。
だからこそ、自分が立っている場所を大事にしていきたい。
その思いを、今あらためて強く感じています。
事故で命を落とされた方々に、心から哀悼の意を表します。
そしてこの出来事を通して、今ある日常の尊さを忘れずにいたいと思います。
また次回も、“歩きながら考えていたこと”を綴ります。
REVOLVER合同会社
代表 浅岡俊光